そうであって欲しい気持ちが脳内で事実に変わる時
大変長いタイトルですが、あの人のブログ更新です。
「プロ固定はいる」とあの人は言っていますが、
あの人が実際にプロ固定から何かしら被害を受けたのでしょうか?
今回エントリされた文章をよく読んでみると、、、
>あくまでも内容が事実かどうかはわかりません。
>保全がなされた可能性はありです。
>他にもキャッシュは残ってるかもしれないのですが・・・
>内容はぱっとみ事実っぽいですが、
>長期かけてつくりあげた偽りのBBSの可能性もあります。
>単に2chプロ固定が、記名で書きたくて作ったうちわ掲示板の可能性もあります。
>自分にはわかりません
>他にも、2ちゃんねるスタッフたちの書きこむ掲示板は存在するようです。
>この掲示板も偽物なんだろうか?
「自分にはわからない」「〜かもしれない」「可能性はあります」「〜だろうか?」、、、
ほとんどが憶測、思い込み、疑惑の域を脱していないのに、「これが証拠だ」と鼻息荒く
力説しています。 世間一般ではこれを証拠とするのはあまりにも不充分です。 そして
最後にあの人はこんな事を言っています。
>存在しない証拠が、こっちにとっては「無い」んだよね。
先にも書きましたが、あの人が証拠としてあげた物も「プロ固定が存在する証拠」には
なりません。 あの人の「プロ固定は実在する」という発言は、それを信じる人がいるか
どうかは別にして、これこそ一種の情報操作になるのではないでしょうか。
まぁ、あの人にとって、プロ固定が存在する事になれば、「何から何まで全部プロ固定
の責任に出来る」とでも思っているのでしょう。 「プロ固定は実在して欲しい」そんな
哀しい位に激しい思いが、あの人の脳内で「プロ固定は実在する」に変換されているの
だと思います。 そう考えるとちょっと哀れに感じますが、あの人が不幸なのは、、、
自業自得ですから。